「サーチ・ディバイド」の解決方法
アウン市川さんの考える「サーチ・ディバイド」。なるほどなるほど。
つまり、現代人にとって検索が生活していく上で不可欠なサービスになればなるほど、検索の習熟度の差はさまざまな場面で有利にも不利に働くのではないか。例えば、仕事で必要なデータを探し出す際、家庭で生活に役立つ情報を引き出す際、検索の習熟度の差によって情報を探し出す時間や探し出せる情報の質は大きく異なってくる。
Web 検索サービスはインターネットにさえ繋がれば、誰でも広大な Web 上から必要な情報を探り出すことを可能にした。しかし、裏を返せばこれまでは知識の差で優劣が決した世界に、検索の習熟度という新たな物差しを登場させたといえるのではないだろうか。
Japan.internet.com Webビジネス - 検索業界はサーチ ディバイドをどう克服するのか
http://japan.internet.com/busnews/20061228/8.html
「digital divide」になぞらえたこの造語(「divide」って日本語で書きづらいですね 苦笑)、少なくともインターネットを利用する上では必要不可欠なインフラと化してしまった検索サービスについて考えるとき、結構深刻な問題になることは間違いないでしょう。
少し余談になりますが、個人的なここ数年の感覚として、覚えておきたいことが発生した場合、脳味噌にストックするという感覚はきわめて薄く、手帳に書き留めるかタグをつけたファイルの形でハードディスクに保存してあとで検索するか、そのどちらかに落とし込んでいます。
これは自分の脳味噌に可能な限り「考える」という仕事以外はさせないようにしよう、という意識によるものです。当然ですが、それを可能にするのは「検索」というインフラと、「自分自身の検索能力への信頼」以外のなにものでもありません。
では、どうやってその「検索の習熟度の差」を埋めていくのか、市川さんはこのように述べています。
2007年以降、技術者の努力によって検索技術がさらなる進化を遂げ、「誰もが使いやすい検索サービス」に少しでも近づき、それら検索サービスの進化によってさらに便利な社会が訪れるなら、おのずと検索ビジネス自体も拡大していくのではなかろうか。
確かにこの指摘は正しいです。ただ、この問題の克服を検索事業者、ひいてはその企業体に属するエンジニアによるブレイクスルー「のみ」に託してしまうのは問題があると思っています。
検索エンジンを提供する企業、そしてエンジニアは優れたクローラーやインデクサーを作ることは出来ますし、サーバを増強することも出来るでしょう。ただし、クロール対象のコンテンツを作るのはあくまでユーザーであることは変わることのない事実です。
いかに性能の良いシステムがクロールしたところで、コンテンツが全てFlashベースで制作されるようになってしまったら、現在存在する検索エンジンは壊滅的な状態になるでしょうし、かといってSEOを過度に意識するあまりに、あたかも学術論文のようなファイルをウェブに置いたところで、企業、ひいては個人のプロモーションの観点からすればまったく意味はないでしょう。
ファインダビリティ(発見されやすさ)とインタラクション、そしてアトラクティブネス(魅力)。その3つが高いレベルで融合したコンテンツを作り上げていくこと、そしてそれを支援していく事が(も)、SEMというドメインにいる私たちの仕事になるのだなあ、と考えたりしています。
それと、これは市川さんも述べているような気がしますが、「教育」は絶対に必要だと思っています。私の知り合いにも何人か「すげー検索をするなあ」と感心してしまう人がいるわけですが、そういう方々がより積極的に検索能力向上のためのセミナーをやったりとか、書籍を出版したりするといいんじゃないかな、と思っています。もしも初等教育のフェーズからインターネットが導入されることになれば、(現時点での状況をベースに考えた場合)検索能力は絶対に必要な能力です。だって、覚えておく必要がなくなるわけですから。丸暗記なんていらないわけです。
そんなわけで、検索エンジンの進化に頼りきるのは他力本願であって、各自、つまりは検索エンジンを開発する人、素材となるコンテンツを作る人、そのプラットフォームを使ってマーケティングをする人、その他関係各位がそれぞれ出来ることを最大限に行うことで検索はようやく次のフェーズに行けるんじゃないかと。逆に、今のままの意識で取り組み続けたところでこの「ブーム」が長く続くほどビジネスは甘くないと考えています。
なので、今年もがんばりますか!