業務効率化とクリエイティビティ


結論出てないままだらだらと綴ります。ビジネスに携わる人間にとっては結構永遠のテーマかも、と思いつつ。

いわく人間が持っている柔軟性や才能をあるパターンに押し込んでしまうことで人間の能力を制限しているのだと。そんなことするから世界がつまらなくなるのだとおっしゃる。なるほど。


 僕もしゃくなので、思いつくままに「携帯電話は遠隔コミュニケーションのパターンを固定化したけど、誰も困ってないよ」と言い返してみました。


パターン化は世界を狭くし、そして爆発的に広げる (arclamp.jp アークランプ)
http://www.arclamp.jp/blog/archives/pattern_make_a_world.html


業務を効率化しようと思ったときに真っ先に考えることは業務のパターン化とそのパターンを徹底する方法論とそのパターンが徹底されているかどうかを確認するチェックロジックなのですが、常にぶち当たる壁は「その行為はプレイヤーからクリエイティビティを奪っていないか」というそこはかとない不安。


業務効率化にもいろいろなフェーズがあって、無駄な時間がありまくるフェーズでは上のようなアプローチでまったく問題ないと思うのですが、ある程度組織が成熟した段階で「さらに効率化を!」と言っても仕方がないことが多いですよね。先輩の言葉を借りれば「あまり筋肉質な組織にしても融通が利かず、創造性が発揮できない」と。たしかにそんな気がします。


ただ、この批判は少し外れていると私は考えていて、「効率化=筋肉質=一分の隙もないルーティンワーク化」、と言う図式を元にした思考フレームだと思うのですが、行為主体がロジックでその行為を説明できないことがままある「人間」である以上、どんなに整備されたフローに落とし込んでもイレギュラーな事柄は発生すると思うのです。同じ業務であってもその日の感情や体調、気温や空気、雰囲気によっても効率は変化しますし(みなさんもご経験ありますよね、と言うか毎日そんな感じじゃないですか? 少なくとも私はそうです)。


だとすると、難易度の高い、作為的に「無駄な贅肉」を残す施策というのはやはり何かが違うような気がしていて、あえて言ってしまえば、それは「ビジネス」ではないと考えています。人間がする行為である以上、筋肉を作りながらもその過程で拭い去れない贅肉が発生するはずなので、その「贅肉」をいかに「有意な贅肉」に変換していくか、という方が私のスタンスというか、考え方にはフィットするのです。


と、いうわけでこれからも筋トレに励みます。贅肉は学生時代にだいぶ溜め込んだはずだしな。