広告も変わったねぇ。


仲畑さんの本に続いて、これまた良書。ほんの少しでも広告に関連したお仕事をしている人は必ず読んだほうがいい。



で、読んだだけでは少し物足りなくて、「自分自身にとって広告とは何なのか、そしてその広告はこれから先どこに向かっていくのか」を真剣に考えておいたほうがいい、と思う。以下、読書メモ。

同時性ですよね。いまこの一瞬、何十万、何百万人と同時体験しているよろこび。生中継の興奮こそ、いまも昔もクリエイターたちの最大の強敵、ライバルです。


テレビCMについて、電通杉山氏。確かにほかのメディアでは実現しにくいな。その「よろこび」を証明して魅せたのが2chの「実況板」で、それをエンターテインメントに昇華させたのがニコニコ動画。あたるのには訳がある。

なまじっかの思想家やなんとか党の人なんかよりも、広告のほうがよっぽど思想を売っていますよ。しかも、それがおもしろく展開されているのが、あの当時のアメリカの広告界だった。


オグルヴィロールスロイスDDBのワーゲンなど、古典的名作を挙げながら。確かに、アメリカの優れた広告は思想を売っていると思う。で、もちろん2008年もっとも思想を売ることに成功したのがオバマ氏ね。さすが。

でも、マーケティングというのも、本当は調べることがすべてじゃなくて、調べてそこから企てることを意味するんですよね。


リサーチャー止まりのマーケターにならないように。戦略とコンセプトくらいは常に作っておきたいものです。

「いい土地があれば、いい家を建てたくなる」


電通澤本氏の言葉。確かに。この枠にはいいクリエイティブが似合う、みたいな空気感がなくなったなあ。映画館で流れるCMって叙情的なものが多くて画面の大きさや雰囲気も手伝ってすごく響くものが多いけど、テレビのスポットにもそういうものがあっていいんだと思う。ただ、WEBに関して言えば、「いい土地」なんてほとんど、いや、一個もないかもな。その代わり「そこの土地とあっちの土地をくっつけちゃえ」とか「その土地、全部青くしちゃえ」とかがしやすいんだけど。

バブル崩壊のあたりから変化したように思いますね。それまでは、広告主がつくり手に対して、尊敬の念、リスペクトの気持ちをもっていた。けれども、ある時期からプレゼンテーションが非常に大がかりになって……。(中略)つくる側も芸を見せることよりも、広告主さんの意見をかたちにすることだけに注力するようになった気がします。


バブル崩壊の頃まだこの業界にいなかった人間としては、こういう昔話はうれしい。東北新社中島氏の言葉。この会社に入ってこの仕事を始めて4年、常にこれは疑問に思い続けていて、「与件の整理」から始まる一連の滑らかなプレゼンテーション。ただ、そればっかりやってると面白くもないし、それにそもそもまともな人間が考えればどの広告会社が解釈して提案しても、まあ、なんとなく同じようなものができあがる。それだと差別化できないし、クライアントもちょっと困るんじゃないかな、って。もっと考えないと。

気合いを入れてつくったものなら、伝わると思うんです。演出でも、企画でも、絶対に手を抜かない。どういうふうにお茶の間に響いていくのかを、かなりシビアに想像して、テレビを見ている人の気持ちに思いを馳せてつくっていくしかないと思うんです。


気合いと根性。絶対に手を抜かない。妥協しない。合わせに行かない。大事。

インターネットでは時間軸を表現しにくいから、


うーん、確かに。それは大いなる弱点であり特徴。ここは深堀りして考えたいな。

こういうときこそ「つぎにみんなが幸せになるための目標」のようなものをみんなで共有することが大切だと思うんです。かつてのテレビにはあったんですよね。みんなを幸せにするなにか、が。


それぞれのメディアが誕生した時代背景にも大きく依存すると思っていて、飽食の時代に誕生したWEBは「みんなが幸せになるための目標」にそぐわない予感がしています。じゃあなんなんだろ。やっぱりテレビかな。

でも、新しいコミュニケーションの仕組みを考えるのは得意だけど、「芸」の部分で、人を楽しませることができているかというと、まだそこまで成熟はしていない気がします。お茶の間を楽しませるために舞台で踊りきれる職人芸をもった人は、まだ現れていないような……。


確かに。どきっとした。広告はあくまで表現であって、スキームがすべてじゃない。コミュニケーションデザインなんていう言葉が持て囃されると構造論ばかりが進化して表現がついていかないという結果になると思っていて、すでにそうなっているなと思っていて、結局はインフラ・スキームの上に載るコンテンツ・表現が大事なのであって。確かにメディアプランニングで工夫することはできるけど、それは工夫であって本質ではないはず。


どなたの話にも共通項として必ず出てきているのは、4マス、とくにテレビCM中心の時代と言うのはとっくに終わっている、そしてWEBを活用する重要性はわかっている、ただ、マスがいらないかというとそれは嘘で、必要に応じてメディアニュートラルにプランニングしないといけないよね。ということ。どのような立場にいてもそう思うんだなあ、やっぱり。


広告会社が1社しかなければやり方はいろいろあるんだろうけど、複数者が強烈な競争環境の下日々戦っている、と言う状況にあっては、「あの競合にどう勝とう」みたいな議論が優先されることが多くて、それがちょっとうんざりしてきた。上場企業である以上、企業としての価値向上は株主責任としてあるんだけど、その方針、戦略が広告の提案や表現にまで結構影響を及ぼしている感じがあって、それはあまりいいことではないな、と。よく分からないと思うので例示すると、WEB企業はテクノロジーに強くてしかるべきだから、テクノロジーを活かしたソリューションを提供しよう、みたいなね。その時点でニュートラルじゃなくなってるし、それだといつまで経っても今の状況が変わるはずもなく。


クライアントと消費者を代理するようにしよう。改めて。会社とかメディアとかベンダーの代理してても仕方ないしな。注意。