広告会社は変われるか―マスメディア依存体質からの脱却シナリオ



つい最近まで電通総研の社長を務めていた藤原氏の「渾身の提言」。歴史と現在のボリュームがちょっと多めで、もう少し未来の展望とか、ご自身が考える理想の広告会社について語っていただきたかったな、と思いつつ、良い本です。若手広告マンにおすすめ。


カウチポテト型リレーションとオンデマンド型リレーションの融合」だったりとか、「eプラットフォーム」とかは目の前に、もう本当に目前に迫っているわけで、さあ、どうするかなー、と。


本論とは若干それますが、以下のくだりが興味深かったです。

どうも最近の若者たちの「個」化は、筆者の時代の意味合いとは異なるようだ。たとえば、いまの若者は親友とも本音ベースで語り合おうとはしない、という。理由はせっかくの絆が壊れるからだという。筆者の時代の親友は、むしろ議論し対立することを前提としていた。その後の絆が、親友の証だった。Fragile(脆弱性)―それが最近の個へのメッセージだ。


30を目の前にした私はもはや「最近の若者」ではなく、かといって筆者の側に近いかというとそうでもない、なんともいえない中途半端なセグメントにいるわけなんですが、最近「本音ベースで語り合おうとしない」例をそこかしこでよく見ます。


勤務地の都合上、ギャルな皆様と隣り合わせてご飯を食べることがあるのですが、彼女らの会話には基本的には「否定」が存在しません。基本的に全肯定。それがルールであるかのように、わざとらしさ全開のポジティブコミュニケーションが展開されます。もう少しラジカルに言うと、そもそもコミュニケーションが存在していないことが多いです。互いに好きなことを言い合い、適当に相槌を打ち合い、滞留することなくそのまま流れていくそれらの会話は、コミュニケーションデザインを生業にしている人間には本当に異常にうつります。


ケータイメールの発達によって簡潔なコミュニケーションが好まれるようになったのか、それともほかの要因で他社に対する関与具合が変化しているのか、その原因はすっきりとは分からないのですが、いつか自分のクライアントのターゲットユーザーになる可能性のある皆さんのインサイトを捕まえておかないと、いつか自分が苦しむんだろうな、と。


少し考えてみます。


(目標達成まであと92冊)