そういえば(自分にとってはすごく大事な独り言のコーナー)


思い出したことがありまして。身の回りの環境の話。


大学生〜前職にいたくらいまで、自分が生活をする場所を取り巻く環境に対して、ものすごくこだわりがあったな、ということを思い出しました。それはいかに効率的に日々を過ごせるか(たとえば、探し物に使う時間は最小限にしましょう、とか)というよりも、いかに自分のテンションが上がるか、というこだわり。


イームズの椅子に座り、プルーヴェのテーブルに柳宗理のランチョンマットをひいてアラビアの食器でイタリアンを自分で作って食べてみるとか、ギャルソンのジャケットにマルジェラのニットとジルサンダーのパンツにミハラの靴を履いてみるとか、ABC→カウブックス→ハックネット→ユトレヒトで洋書を買いあさるとか。


なんというか、別に有名ブランドやら有名デザイナーが好きなわけではなくて、物体の形状として目を引くもの、心に響くものに囲まれていたい、そういう気持ちだけで物を選んで、消費活動をしていた時期があったな、と。


それに比べて今、最近。仕事柄もあるかもしれないのですが、重視するのは徹底したROI(笑)。上にも書いたように、いかに自分が目標に対して無駄なコストを使わないか、というところに目を向けた生活を展開中。これ、当時を知る方々にとっては想像しがたい姿なのかも。


思い出してみれば、かつては仕事とプライベートの時間がくっきりと分かれていて、休日出勤することなんてまれで、仕事以外の時間をほとんど「そういう」ものに充てていたな、と。横浜でパウルクレー見たり、浅草でダンス見たり、埼玉で若手建築家の展覧会見たり、森美でクロッシング見たり。


3年ほど前から、何を思ってかプライベートと仕事の境目がない環境に自分を追いやり、仕事においては超ROI重視になったため、「そういう」ものに対して投下するコストがほとんどなくなりつつある今日この頃。で、何を考えているかというと、「そういう」ものもないといかんな、いや、むしろ「そういう」ところにこそ自分自身の本質がやはりあるのではないか、ということ。


で、何が言いたいかと申しますと、可能な限り「そういう」環境も大事にしながら日々を送らねば遺憾な、と思うのです。今働いている職場の机の上が殺風景とか、今過ごしているお部屋が無駄に汚いとか、そういうところから改善していくことで、より高いパフォーマンスが残せるかもしれないと思ったので、ここはひとついろいろと取り組んでみたいな、そう思った日曜の夜でした。